
その昔、あるきっかけから女流義太夫の師匠に弟子入りしました。師匠から教わったことは臨床的になかなか興味深いものが多々ありました。義太夫の《語り歌》を謳うときは、「三味にはつくな離れるな」と教わります。要するに、三味の音につかず離れずがよいらしいのです。西洋の音楽で歌を歌うときは楽譜の音符を楽器が音を出すのと同時に声を合わせて出しますが、義太夫では太棹の音に合わせて声を出すと「べた間や!汚い!」と叱られます。「ベーン!」と三味が鳴ったら、「うん!はっ!」とひと呼吸置いて少し遅れて声を出すのが良いです。
心理療法やカウンセリングでも、理解の早すぎる治療者や共感ばかりをする治療者、クライエントが話したり質問が出ると、その噺にぱっと飛びついて自分の話を語りだす治療者など、有能で多くの人から賞賛を受けている治療者や切れ味のするどい治療者ほどクライエントの話に飛びついてべた間になりやすい気がします。クライエントにひと呼吸与えないでクライエントの語りを潰してしまうのです。
心理療法においても、治療者がクライエントの話にくっつきすぎるとべた間になりクライエントの語りの邪魔になってしまいますし、離れすぎると間抜けた感じになりラポールがつきにくく関係が育ちません。心理療法の初心者ほど、クライエントの話に相づちを打ち過ぎてしまします。心理療法におきましても、義太夫の語りの基本と同様に、クライエントの話にはつかず離れずという間合いの取り方が重要なのですが、その習得には手間暇がかかると思います。
義太夫には《歌う》ところと《語る》ところがあり,「ゆっくりのところは早く。早いところはゆっくりと」、「歌うところは語り、語るところは歌え」と教えられます。この感覚は,心理療法の臨床感覚に似ているように思われます。例えば、大きな声のクライエントには小さな声で応え、早口のクライエントにはゆったりと応じるのが良いのは経験の積んだ臨床家ならば理解できると思われます。
また、義太夫では人形浄瑠璃の人形の話す台詞のことを台詞といわず《言葉》と言います。そして師匠から、義太夫では《節に言葉あり》と言い伝えられていることを教わりました。この臨床的意義について考えてみますと、心理療法においては言葉が重要なのではなく、節やトーンが常に変化している《声》が重要なのだと言えます。
同様のことを、中井(1985b,2002)は論文やエッセイのなかでSullivanを引用して、「言語的精神療法(verbal pyschotherapy)というものはない。あるのは音声的精神療法(vocal pyschotherapy)である」と述べ、「治療するのは声である」と声の重要性について述べています。
《節に言葉あり》の臨床的意義は、語られている言葉の内容が重要ではなく、《声》に含まれている節や調子の連続がもたらす雰囲気のなかにクライエントのほんとうの言葉(こころ)が潜んでいることを理解することだと考えられます。心理療法では、声でクライエントにふれない限り、言葉ではクライエントをつつむことはできません。
心理療法は本の知識からだけでは学べません。心理療法は口伝の文化の中での学びが必用なのです。それは、治療者とクライエントとの治療関係やケース・スーパーヴァイズにおけるヴァイザーとヴァイジーの関係のごとく、言葉そのもの以上に、その言葉が投げかけられるタイミングや相手のふるまいなどの非言語的文脈の情報を重層的に含んでいる教えなのです。
文献
中井久夫 1985 分裂病に対する治療的接近の予備原則;中井久夫著作集2巻.岩崎学術出版社.
中井久夫 2002 清陰星雨.みすず書房
